石田老舗の歩み
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1871(明治4年)
初代石田利太郎により石田商店設立。
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1894(明治27年)
二代目石田亀之助が社長に就任。当時の衛生思想にふさわしい、純白のとろけるような お菓子「たまごぼうろ」を開発。雪のように白くて口どけがよく、衛生的なお菓子だったことから「雪印衛生ボーロ」と銘がついた。
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1911(明治44年)
9月亀之助が京都菓盛会初代会長に就任。(当社既存の会員名簿より)
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1925(大正14年)
東洋製菓新聞社により発行(大正14年1月5日発行)されたお菓子の製造書 「和洋菓子製造大鑑(当社現存)」に「そばぼうろ・衛生ボーロ元祖」の広告を掲載。
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1945(昭和20年)
三代目社長として、亀之助次男の小林亀次郎が社長就任。宮内庁御用達として、 雪印衛生ボーロの特注を承るほか、宮家にも松葉焼、そばぼうろを納める。
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1971(昭和46年)
創業100年を機に石田老舗と改名。
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1978(昭和53年)
亀次郎長男小林寛次が四代目社長に就任。
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1980(昭和55年)
事業拡大のため南区に新工場設立。
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1984(昭和59年)
洋菓子フィナンシェ・マドレーヌの製造を始める。
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1989(平成元年)
第21回全国菓子博覧会にて、そばぼうろが内閣総理大臣竹下登氏より褒賞状を授与される。
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1992(平成4年)
10月和菓子最中の製造を始める
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1993(平成5年)
6月洋菓子ヴァッフェルの製造を始める
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1994(平成6年)
第22回全国菓子博覧会にて、そばぼうろが寛仁親王より名誉総裁賞を受賞。
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1999(平成11年)
石田老舗発祥の地である烏丸竹屋町の表通りにシュークリーム専門店 「Crème de la Crème」オープン。
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2003(平成15年)
3月和菓子水物の製造を始める
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2005(平成17年)
2月十条工場へ移転並びに石田弘三が五代目社長に就任。
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2008(平成20年)
4月第25回全国菓子博覧会にて、京野菜フィナンシェが橘花榮光章を受賞。 6月伏見外山工場へ本社を移転。
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2009(平成21年)
11月神戸工場を設立。
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2011(平成23年)
6月石田宏次が六代目社長に就任。
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2013(平成25年)
クレームデラクレーム六本木店をオープン。
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2019(令和1年)
11月11日にクレームデラクレーム京都本店を移転リニューアルオープン。
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2020(令和2年)
9月19日「まめものとたい焼き」嵐山本店をオープン。
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2020(令和2年)
12月洋菓子サブレの製造を始める
フィナンシェ開発秘話
金塊を模った焼き菓子フィナンシェは、逆転の発想で本来の底面を表面に仕立て上げることで、上質な小麦粉特有のふんわり感、日高産新鮮バターの甘い香りを強調させ、人気を博しました。日本のフィナンシェの今ある姿は弊社の発想なのです。その後はスティックやハート型と自由な形の製造も可能にしました。
ヴァッフェル奮闘記
お口に広がる薫り高いクリームに、口ほどけのいいサックリ歯ごたえの波型クッキーといえば、お茶菓子に重宝なドイツのヴァッフェル。そのラインを逸早く工場に備え、クッキーとクッキーの間にバニラや抹茶、チョコレートやストロベリーといった、バリエ豊富なクリームを挟み込んだ商品提案は当社が最初です。
そばぼうろ誕生物語
二代目、石田亀之助は蕎麦屋に見込まれ、そば粉を活かした焼き菓子「そばぼうろ」を誕生させます。その後「衛生ボーロ」に進化させると、昭和天皇の離乳食として献上するまでになります。現在は柚子を始め時流の風味を加える工夫を凝らしたり、小粒サイズに焼いたりと、カスタマイズにお応えしています。